新年の舞

「……今度は、久々にボクがやろうかなぁ。アシュレイの紹介も兼ねて」
 何だか神妙な口調で、フェイが呟いていたのを思い出す。
 何をやるのかと、その時に聞いておかなかった事を、少し後悔した。

 眠るのは好きではないのに、どうやらフェイに眠らされていたらしい。
 見覚えはあるのだが、馴染みのない部屋を見ながらそう思う。
「あ、起きた? 気分は大丈夫?」
 枕元に椅子を持ってきて座っていたラフィエスを、アシュレイはベッドの中から見上げた。
「ラフィーさん。今回はまだ、何とか……」
「それは良かった」
 柔らかな笑顔でラフィエスは言う。
 彼がいるという事は、ここは『世界の狭間』であるという事だ。
「今回は、時間が決まってるからね。そろそろ起こそうかなって思ってたんだ。起きたところで悪いけど、もう出掛けてもらわなきゃ」
「えー…と……。どこに、ですかぁ?」
「神宮に」
 聞き慣れない言葉に、アシュレイは首を傾げる。
「じんぐう?」
「神殿みたいな所だよ。道案内は僕がする。行こうか。『妖精』はともかく、リュージュには久しぶりに会いたいし」
「分かりましたぁ」
 アシュレイは起き上がると、ラフィエスについてリュージュとフェイの隠れ家から出た。
「っ! ……夜中じゃないですか」
「あぁ、ごめん。寒い?」
 思わず首を竦めたアシュレイをラフィエスは気遣うが、アシュレイはまた首を傾げる。
「さむい? 何が? それより、時間が決まってるんでしょう? 早く行きましょうか」
「……」
 ラフィエスは、痛ましそうにアシュレイを見た。

 人でいっぱいの和風な建物の前。
 人々は建物の前の広場に注目しているように見える。
「……混み混みですねぇ」
 密度の高すぎる人混みの苦手なアシュレイは、渋い表情をした。
「今回は、何百年か振りに、『妖精』直々に舞をご披露なさるからね。ご本尊の舞だ。皆、見に来るのも仕方ない」
「つまり、ここの神殿は……」
「この世界を支える神様を祀っているという事さ」
 ラフィエスはアシュレイの手を引いて人混みの前の方に歩く。
 『世界の狭間』でも指折りの実力者であるラフィエスを知る者は皆、彼に気付くと驚きの表情で道を開けるので、アシュレイは酷く居心地の悪い思いをしながらも人の密度の高さの割にはすんなりと広場のすぐ傍まで来れた。
 ラフィエス本人も、途中で何度か嘆息していたのを見るに、あまりそういうのは好きではないようだ。
「年改めの儀は見た事があるかい? あれは、ここに舞を奉納すると始まるんだ」
 ラフィエスの今更ながらの説明に、成程、だから夜中なのかと、アシュレイは納得する。
「うん、間に合ったみたいだね。始まるよ」
 その声が合図となったかのように、広場の周りに一斉に篝火が灯った。

 建物から、二人、アシュレイも良く見知った人物が出てくる。
 リュージュもフェイも、アシュレイにとっては見慣れない服を着ていた。
 リュージュは建物の入り口で立ち止まり、笛を構える。
 対するフェイは、広場の真ん中まで進み出た。
 すっと、天に掲げられる腕。
 それを合図に、不思議な音楽が奏でられる。
 フェイは、いや、世界を支える妖精は、ゆったりとした踊りを舞う。
 その腕が緩やかに振られるたび、足が一歩踏み出されるたび、篝火よりもなお明るく、光の粒子が舞った。

「……おいで?」
 舞に見惚れていたアシュレイは、その囁きに我に返った。
 目の前で踊る妖精が、再び誘う。
「ねぇ、君もおいでよ」
 不思議な事に、周りの誰一人、ラフィエスにも、その声は聞こえていないのだと確信が持てた。
「……自分は舞えませんよ」
 アシュレイは囁き返す。
「嘘吐き」
 フェイは笑った。
「別にボクの舞を舞えって言ってるんじゃないんだよ。君だって、新年に舞を踊った事くらいあるんでしょ?」
「……あれは」
 舞じゃない、演武だ。
 言い返そうとしたアシュレイの腕を、フェイは引いた。
「君の演武は……演舞と変わらないよ」
 剣を手の中にすべり込ませてやる。
 リュージュは薄々フェイがアシュレイを巻き込むだろうと予想していた為、内心、後でハリセン叩きの刑とフェイに宣告しながらも、曲調を変える。
 フェイに馴染んだそれから……アシュレイに一度だけ聞かせてもらったものへ。

 退くに退けなくなり、アシュレイは仕方なく剣を構えた。
 武器を扱うのは、本来裏人格である“アシュレイ”の担当だ。
 だが、改まった席で酒を飲むと顰蹙を買うので、武器を持って舞う事だけは、アシュレイも仕込まれていた。
 それさえきっちりしておけば、他の時は一切武器を振るわなくてよい。
 その約束を信じ、傷つける相手のいない舞を、アシュレイは結構一生懸命練習したものだ。
 ――今は何も考えない。
 余計な思考を忘れ去り、ただ楽の音に合わせて身体を動かす。
 アシュレイは気付かなかった。
 その瞬間に、篝火が消え、代わりに星が輝きを増して自分を照らした事を。
 その時の自分の姿が、茶色くくすませた髪で誤魔化しているいつもの冴えない容貌ではなく、淡い金髪の『目立つ』方の格好で、挙句の果てに『世界の狭間』の住民なら一目見たら一生忘れ得ない、『力』に満ちた翼を負っていた事を。

「うんうん、やっぱり綺麗だよね~」
「……『妖精』……」
 いつの間にか舞手は入れ替わっており、自分の隣で満足気にフェイが笑っていたので、ラフィエスは呆れた。
「舞をあの子に見せてあげるだけじゃなかったんですか」
 そう聞いたから、連れてきたのに。
「ラフィーったら、ボクに敬語は無しって、毎回言ってるじゃないか」
 何だか素直に白状してくれなさそうなフェイに、溜息が零れる。
 だが意外とあっさりと、フェイは続けて言った。
「どうせならアシュレイをちゃんと紹介しようって思ったんだよね。せっかく綺麗に舞えるのになかなか見せてくれないのは勿体無いなぁって思うし、新年の舞を奉納した人を相手に喧嘩売るようなおバカちゃんは、今まで散々天罰与えてきたから、もういないだろうし。こういうのを一石二鳥って言うんだよ、うん」
「新年の舞を奉納した人には幸運が訪れるって聞いてたけど……まさか本当に幸運を撒いてたのかい?」
「まぁ、それくらいはね。せっかくいいもの見せてくれるんだから、それに見合ったお礼くらいはしなくっちゃね?」
 ラフィエスは、さっきとは別の意味で呆れた。
「よくもまあ……」
「褒め言葉として受け取っとくよん」
 フェイは悪戯っ子のように笑う。
「あ、ラフィーも次に舞う? ボク、ラフィーの舞うのも好きなんだけど」
「いや、流石にこんな見事な舞の後は遠慮したいな」
 二人は顔を見合わせて笑うと、後に伝説の域にまで噂される事になるアシュレイの舞を堪能すべく、視線を広場に戻すのであった。


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