【妄想】Dead or Alive
そもそもの切欠が何だったかなんて、そんな事は些細な事だ。
ただ、あまりにも、壊れそうで怖かったから。わたしは、話を聞こうと思った。
「やっほー、アーちゃん。
……どしたん、そんな暗い顔して。寝不足?」
「ミレイ、か」
アサギ君が向けてくれた笑顔は、どこか作り物めいていて、やはり無理が透けて見える。
「疲れてる時は、寝んのが一番やで? ちゃうのん? まさか、また珠ちゃんが迷子で、まだ見つからんとか?」
珠姫さんの名前を出した瞬間、アサギ君の笑顔が更に強張った。
……何かは分からねど、珠姫さん絡みで重症だ。
「いや、姉ちゃんは今は会議に出てるから」
「ふーん? やったら、大丈夫?」
別に何て事のない筈の、『大丈夫』という単語を、どう曲解したのか。アサギ君は、ついに笑顔を消した。
「うん、今の俺の手の届かないところにいる」
そして、返ってきた言葉が予想外で、わたしは一瞬その解釈に頭を使う羽目に陥った。
「……て事は、何。アーちゃんが、珠ちゃんに何やするって事?」
「違う!! そんな事……っ!」
「冷静じゃなくなってる時点で、やっぱ疲れてんで」
固く握りしめられた拳を見ながら指摘すれば、歯噛みする表情が、泣きそうで。
……壊したい訳じゃない。わたしだって、壊したい訳じゃない、だから。
「でも、ま、大丈夫やないの?」
言外に含ませる、大したことじゃないよ感。
「アーちゃんが珠ちゃんの事だーいすきなんは、わたしがよぅ分かっとる。そんなアーちゃんが、珠ちゃんに何やする? 笑っちゃうでよ。
大丈夫、もしそんな万々が一が起こったら、わたしが飛んでって止めたるよ」
敢えて笑う。笑って見せる。
「無理やと思たな? そりゃーわたしは非力っ子やから、メッチャ上手くいっても一瞬時間を稼ぐのがせいぜいやわ。でも、その一瞬でもあれば、アーちゃんとわたしの大好きな珠ちゃんが何もできやんとは思えへんさけんにな。そこはそう思うやろ?」
この会話がわたしの盛大な空回りであれば、そう呆れ返って指摘されれば、それで良かった。
なのに、歪められた表情で、期待を裏切らないでくれませんか。
* * *
誰かが忠告してくれた。
アサギ君は今でこそああいう感じだけれど、もしも彼の記憶が元に戻ってしまったら。そして、今の『彼』の記憶が消えてしまったとすれば。
「……最悪の事考えると全滅だろうな。……冗談抜きで」
忠告者の声は、この上なく真剣だった。
あの時は、自分がここまで係わるようになるなんて考えてなかった。ただ、雲の上の話として聞いていただけで。トップがいきなりすげかわったくらいで崩れるようなヤワな世界ではないと、勝手な期待まで寄せ。
『全滅』という言葉の意味を勘違いしていたからこそ、聞き流せていたともいえる。『平和』だと勘違いしていたこの世界の中、命の遣り取りの事などどうして思い至れよう。
勿論、他人事ではないと知っている今、わたしだって命は惜しい。命が惜しかった、だからこそ。
わたしがわたしである為に。『わたし』という『存在』を残す為になら、文字通りこの身を削ってみせよう。
一見、命を粗末にしているこの行為が、最終的には無駄にはならないと祈って。
そう、自己犠牲だなんて美しくないと、誰かが憤っていた。だから、ギリギリまで足掻く。足掻いて、足掻いて、みっともなくとも、わたしの望む、自己中心的な結末を。たとえわたしという存在を削り取ろうとも、わたしがわたしらしくあれる未来を。
『夢のけむり』としての能力を使う。使って、言霊に呪いにも似た暗示を絡めた。
――ダイジョウブ、ダイジョウブ。何も起こる筈がない。万々が一が起こった時には、どんな手段を用いてでも止めに行くから。
本当の事を言えば、『音羽 美鈴(みすず)』という個人の意思の一部分にしかすぎない『わたし(ミレイ)』が、他人の意思に干渉するのは……たとえ相手の意思もまた、不完全なのだとしても……それだけで消耗を意味する。けれど、忠告を聞いてしまい、苦悩の声も知ってしまったその時、それでも静観できるほど、わたしは諦めが良くなくなっていた。
諦めるにはまだ早いって、教えてくれたのは、この世界の皆。だから、わたしは諦めずに、無茶をするのです。
* * *
「……邪魔をしたのは、お前?」
冷え切った目をした、『彼』によく似た『誰か』が言った。
いきなり周りが切り替わって、嫌な予感はしていたんだ。だから状況把握のために、時間を圧縮したつもりだった。今のわたしについてこれるのは、時間の担い手か、或いは……。
或いは、既にわたしの影響下にある者。
「せやね」
一言で肯定すれば、ギンと睨みつけてくる。でもね、甘いよ。危機管理能力皆無、空気の見えないわたしには、殺気なんて全く分からない代物なんだもの。そんなものは、わたしにとっては御伽噺の中の産物。……ふふ、わたし自身が夢の産物なんだけれどね?
「引き延ばしたのも……鈍らせたのも、わたしやよ」
記憶の入れ替わるタイミングをギリギリまで引き延ばしたのも。一瞬の時を引き延ばして邪魔をしたのも。
珠姫さんを殺すんだという、その意思を身体に伝えるのを鈍らせたのも。
答えた刹那、身体に埋まる鉛玉。ああ、流石。この時間の流れに、銃弾まで持ってくるなんて。
けれどわたしは倒れずに笑う。笑ってみせる。
「ふふ、わたしがここに現れた時点で、わたしの『勝ち』なの。残念ながら、今のアンタに殺されてやる訳にはいかへんのよね」
たったそれだけ。それだけの暗示で、今のわたしは立っていた。
これがわたしの切り札。とっておきの一部。
『夢のけむり』は、そもそも生きた人間ではないのだから。そう思い込んで、自分を律する。
……普段、人間であろうとしているわたしという存在を削り取りながら、今のわたしを維持し続ける。すごい矛盾ね。後から絶対ダメージ来るわ。
圧縮された時間の中、未だ数秒も経っていない時を過ごす珠姫さんを振り返る。
多分、びっくりしてるよね。一瞬で、ここにはいない筈のわたしが現れたんだから。
珠姫さんにとって高速で再生される音声が高すぎて聞き取れない事など百も承知で……いや、むしろ。だからこそ、聞きとられるはずがないとタカをくくって、銃弾の更に飛んでくる中、そっと種を明かした。
「アーちゃんやない似非未満の誰かさんなんかに、そうそう殺されてなんかやられへんもんねぇ? わたしら。
わたしにとって本物のアーちゃんがわたしを要らないって言って殺すんでなけりゃ、死んでも死にきらんよ、わたし」
いつの間にか、弾は飛んでこなくなっていた。
弾切れかしらん? と、振り向いたわたしの目に飛び込んできたのは……
* * *
意識は微睡の中にいるように曖昧で、白昼夢か何かのように目の前で物事が進行して。
最近、ずっと怖かった。自分が自分でなくなってしまいそうで。大好きな姉ちゃんを殺してしまいそうで。
それを直接ミレイに言った事はない。ない筈だ。けれど、たまに妙に年上の女性のような物言いをする彼女は、それをどこからか嗅ぎ付けて、笑い飛ばした。
「大丈夫、もしそんな万々が一が起こったら、わたしが飛んでって止めたるよ」
あんまりにもあっさりと、無理だろと思うような事を口にするミレイに、余裕のなくなった心でそんなに甘いわけがないと叫びそうになる。なのにその時の彼女は、一瞬でも時間が稼げればどうにかなる、あの姉ちゃんがどうにもしない筈はないだろうからと……。
だから、この夢の中のような世界で、自分がまだ意識を僅かでも残していて、更に姉ちゃんに銃口を向けた瞬間にミレイが宙から降って湧いたかのように唐突にこの場に現れた事に、そこまで違和感はなかった。
恐れているあまりに悪夢を見ているのだと、ストンと納得してしまった。そうさ、夢の中なら、どんなにおかしなことだって起こり得るんだから。夢は記憶と想像の合わさったものだと、ミレイだって言ってたじゃないか。
そのミレイに、何かの違和感がある。何で、何だよ、その目の紅さ! ほぼ黒と言っても差し支えない、焦げ茶色の筈のそれが、何故か鮮血も真っ青な紅さで俺を見ている。
二言三言、聞き取れない遣り取りがあって。俺の身体は、姉ちゃんを庇う位置に立つ紅い目のミレイに、機械的に銃弾を撃ち込んだ。
鼻孔をくすぐる硝煙の臭い……臭い!?
夢なんだろ? 覚めるんだろ? 臭いなんて……ある訳が……。
「ふふ、わたしがここに現れた時点で、わたしの『勝ち』なの。残念ながら、今のアンタに殺されてやる訳にはいかへんのよね」
ミレイは笑う。
ふと気付く、時計の針がほとんど動いていない。短針や長針だけじゃない。秒針すら、動かないこの夢の中で。
本来なら耳をつんざくような銃声の中、何故かその囁き声だけが、届いた。
「わたしにとって本物のアーちゃんがわたしを要らないって言って殺すんでなけりゃ、死んでも死にきらんよ、わたし」
カチリと鳴ったのは、動かなかった筈の秒針に違いない。
真に銃を扱うものなら、弾切れになるまで銃を撃ち続けるなど、しないだろうから。
* * *
「ミレイちゃん!?」
どうやら、わたしは動揺しすぎたらしい。
時間を圧縮し損ねて、後ろで珠姫さんの声が聞こえる。幸か不幸か、彼女はわたしに遮られて、まだアサギ君の様子に気付いていない。
射撃が得意だと言っていた彼には似つかわしくなく銃を構える腕を震わせ、何かに必死に耐える顔。
うん、今の『彼』は……瀬戸際に、いるのだろう。二人の『彼』が、せめぎ合っているのだろう。
もう一押し、すれば。わたしの望む結末が、得られるのだろう。
「アーちゃ……」
わたしの声は、銃声に掻き消された。
ああ、そうね。撃ち尽くさないね、よく分かってる人は。
『最期』の足掻き、きっちり受け止めさせていただきました。
「んな顔しなや、大丈夫やし」
そんなに顔色を蒼くしなくても。自分の事より他人の事に目が向いてしまう、そういうところは姉弟ね。
もう足に力が入らなくて、立っているのに膝がカクカク震えていたりして、傍から見ればわたしの状態は手遅れなのかもしれない。
……実際は、緊張が解けただけなんだがな!
だって、酷く顔をグシャグシャにして駆け寄ってくるのは、アサギ君の方に違いないもの。
ひとまず、これで難は逃れたと思う。
「でも、流石にちょっと、眠いやも……。
少しだけ、眠らせて……」
ごめん。永眠はしないから、ホントにちょっとだけ。
最悪な展開の先送りかしれないけれど、今はアサギ君が戻ってきた事で安心してるのよ。
次に起きたら質問攻めかもしれないけれど、望まない結末をひとまず回避できたこと、喜ばせて?
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