Side E Noon

 綺羅綺羅と目に喧しいのは、煌く刃。
 咆哮と絶叫、怒号と悲鳴、これだけ離れているのに煩くて仕方が無い。
 天幕を震わせるのは血生臭い風だけではなく、支柱を揺らす地響きもだ。
 感覚を人族並に制限して、これだ。
 本当に、よくぞこんな美しくない所業を繰り広げようなどど考えられるものだ。
 どうにも私には、血に酔うという感覚が理解できない。
 生きる為に獲物を狩るのなら、まだ私にも理解できる。
 何故、彼等は話し合いという手段を、試みすらしないのか。
 そして、何故、私までもが、こんな場所に居なければならないのか。
 世の中は、時として非常に理不尽で不条理だ。
 有体に言えば、生命を脅かされたから、なのだがな。
 いくら無益な殺生を厭う私たちとて、ただの遊戯の為に無抵抗に散ることはしない。
 忘れ去ったと思っていた生存本能は、どうやら眠っていただけだったようだ。
「おーい、指揮官殿ー!? もしかして、まぁーた小難しいことでも考えてんじゃな……」
 いっそ清々しいまでに無遠慮に大きな声を上げながら入ってきた小柄な影は、一瞬不可解なモノを見たような、何とも形容しがたい間抜けな表情を浮かべたあと、獰猛に牙を剥き出して、笑った。
「……アタイ、今のアンタとなら、酒が酌み交わせる気がするよ、指揮官殿」
「判断力を低下させるような薬物など要らぬ。それより、何か報告でもあるのか」
「んー、相変わらずお堅いこって。せっかく、アタイ好みのイーイ顔してたのに」
 一瞬、心拍数が跳ね上がったような、気がした。
 恐らく、地響きか何かと間違えたのだろうとは思うが。
 一介の傭兵に……しかも、価値観の違いが明白な、他種族に、褒められたところで。
 私が動揺するなど、ありえてたまるか。
「……それで、報告は」
「あー、はいはい。そろそろアンタの出番だ。ヤツ等が、例によって例の如く、盛大な最後っ屁をかましてお帰りなすったんでね」
「やっとか。おかげで、私の方は十分準備ができたが」
「一発ド派手なのを頼むよ、指揮官殿」
「……ふん。私を誰だと思っている」
 言葉を出した刹那、しくじったと感じた。
 傲慢な物言いをしてしまったこともそうだが、よりにもよって、彼女の前で言うべき内容ではなかった。
 救いは、彼女の目が零れ落ちそうなほど大きく見開かれるという、貴重な表情を見られたことくらいか。
 だがそれもすぐに、にやけ顔に取って代わられた。
「へぇえ? ふぅん? 言うようになったじゃないか、カノン指揮官殿? 来たばっかの頃は、こんなオボッチャマなんかにアタイ等の命なんて預けられっか、イザとなったら……って思ってたけど。やっぱそれくらいふてぶてしくないとね」
 私は思わずこめかみを揉んでしまった。
 あまりに迂闊な発言だった。
 彼女にその名を出させてしまった以上、覚悟を決める必要があった。
 集中力を乱される覚悟だ。
 まさしく獲物を見定めた肉食獣の瞳で、彼女が嗤う。
 ぎらついた光は、眩しすぎて直視に堪えない。
「今夜は一杯行こうじゃないか、カノン指揮官殿。このカノンが、アンタの成長を祝って奢ってやってもいい」
 それは、甘美なる死刑宣告。
 彼女はきっと、あの判断力を鈍らせる毒薬でもって、私自身の口から彼女の名を引き出させようとするだろう。
 私と同じ、彼女の名を。
 いつもならば、断っていた。
 今回も、断ろうかと考えていた。
 嗚呼、だが、思考の沼に囚われてしまっていたのだろう。
 彼女を飾る傷痕が増えているのを、無意識のうちに数えた私は。
 結局、調子を狂わせたまま、嘆息した。
「報酬の差を考えろ。この場合、奢らねばならないのは、私だろう」
 彼女は、今度こそ、瞬きを忘れたようだった。
「おい、ついに頭が沸いたか指揮官殿?」
 何かしら懐疑的な言葉が返るだろうとは思っていたが、そうか、正気まで疑われたか。
 どうやら、私は随分と参っているらしい。
「そうかもな。まったく、これだから戦は好かぬ」
 最早、彼女の方を見る余裕などなかった。
 天幕を出てから、私は自分が彼女から逃げたのだと気付いた。
 敵ではない筈の彼女が、一番私を苦しめる。
 いつからだろう、同じ名前を持つ少女の存在に気付いたのは。
 彼女が生き延びていることに安堵を覚えるようになったのは。
 こんなことを考えている時点で、きっと手遅れなのだ。
 ……手遅れ?
 何故、そんな単語を思い浮かべた?
 そんなことより今は、目の前の状況を片付けねば。
 私自身の個人的な考え事など、全てが終わってからでも遅くない。


Back ・ Next