Side E Night

 ふと気付けば、天幕の中はすっかり暗く。
 勿体無い時間の使い方をしたものだと、頭を抱えたくなった。
 いくら私が長命種の部類に入るとはいえ、非理論的な考え事で何も手に着かなくなっただのと故郷の知り合いたちに知れたら、どのような反応が返されるやら、想像もつかない。
 チカチカと、瞬くのは小さな明かり。
 星を見に行こうか、それとももう夢魔に身を任せようかと、立ち上がりかけたところで灯りが増える。
 ゆらりゆらりと、揺らめき来る燈の持ち主の、闇夜に光る瞳の美しさよ。
 極上の宝石に、知らず、喉が上下した。
 彼女は足音を立てない。
 夜は、彼女の時間だ。
 そっと、詰めていた息を吐き出す。
 嘆息に見せかけ、そのまま肩を竦めて見せた。
「そういえば、奢らねばならなかったな」
 嗚呼、願わくば。
 暴れる私の心音が、悟られぬように。
 これ以上、声が震えぬように。
 彼女は不機嫌さを隠そうともせず、言い放った。
「はんっ、そのつもりで来たけど、興醒めだ。今の腑抜けたツラしたアンタになんか、タカるもんかい」
「腑抜けた……か」
 確かにその通りだろう。
 私とて、今の自分の状態がオカシイことまでは、判っているのだ。
 ただ、どうしても、理由を考えれば考えるほどに、自分が解らなくなるだけなのだ。
 ここ最近、そのような傾向はあったが、今日は特に酷い。
 途中までは、むしろ思考が冴えていたようにも思うのに。
 どこかで小さな綻びが生じた。
 そして、それがいつの間にか繕い切れぬ大きさになっていた。
 原因は判っている。
 なのに、理由は解らない。
 いっそのこと、その原因を取り除けば、私は元に戻れるのだろうか。
 このまま立ち去りかけている彼女を配置換えで他の同僚に任せ、二度と逢わなければ?
 もう一度、喉が上下する。
 口が渇く。
 指先から、足先から冷たくなる。
 目の前から、色が。
「カノン」
 それは、どちらの名前だ。
「カノン?」
 名前を口にしたのは、どちらだ。
 思考を失っていたのは、刹那か永劫か。
 粘り付くような闇に溺れ、消えそうな希望に手を伸ばそうとして、思い留まった。
 こんな幽かな希望では、私が触れた瞬間にも、壊れてしまう。
 現実に戻れぬまま、首を振った。
「行くがいい、私には過ぎた相手だった」
 いつか失うことを恐れ、せめて自分から手放したと思いたかった。
 そう、喪いたくなかった。
 本当は、手放したくもなかった。
 元に戻れる筈がない、ただ緩慢に死に向かうだけだ。
 持て余すこの感情に、耐えかねて。
 彼女はきっと。
「私の羽」
 零れ落ちた囁きが、何を意味するかまでは、知らないだろう。
 かつて我が一族が持っていたという羽に喩えられる意味。
 そして、羽を諦めた者の辿る末路も。
 先程からこの身を蝕む感覚は、気のせいではないだろう。
 完全に堕ちる前に、次の戦が来れば良いが……。
「ああぁ、もう、バッカじゃねーの!?」
 去ったと思った、声が聞こえた。
 温もりを捨てかけている身体に熱を分け与えようとでもいうのか、深い眠りの淵に沈みかけている魂を引きずり上げようとでもいうのか、抱き締められていた。
 霞んだ視界に映る彼女は、泣きそうに見えた。
「勝手に告白して、返事も聞かずに勝手に絶望とか、ざっけんじゃない!」
 彼女が喚いている言葉を何とか聞き取りたい、これが最期になるだろうから。
 けれど、羽を諦めた私には、音の羅列から意味を拾うのも一苦労だ。
「馬鹿バカっ、逝くなよカノン、戻ってこいったら……!!」
 不意に、呼吸を止めていた唇に、柔らかい何かを感じた。
 崩れ去りかけていた心の足りなくなった欠片が、吹き込まれた気がした。
 私に生命の息吹を飲み込ませたのは、私の羽。
 愛しい相手。
 運命の半身。
「消え去るくらいならアタイのモノになれ、カノン」
 勿論私に、否やはなかった。
「ああ、カノン。私の羽。この命朽ちるまでそなたに捧げよう」
 我ながら、よくぞこんな甘ったるい声が出るものだと、僅かばかりに生き残った理性がぼやいた気配がした。
 彼女も全身の毛を逆立てた。
「そ、その笑顔は反則だろ、カノン……!」
「知らぬ」
「見ろよ、アタイの尻尾まで……」
 彼女は、そこで違和感を覚えたようだった。
「アタイの尻尾が増えてるー!?」
「当然だ」
「何が!?」
「私の命を捧げると言ったぞ。それくらいの変化を起こしてもらわないと、寿命の差を埋められないではないか」
 完全に絶句した彼女の顔に血流が集まっているのが、今の私には分かる。
「……流石、神秘の種族。アンタ等って、強いんだが儚いんだが、もうアタイ深く考えない方が良い気がしてきた」
「それが賢明だな」
 自覚をすれば、そして受け入れられれば、もうこの気持ちだけでここまで振り回され、自滅に走ることも、減るだろう。
 あくまでも、減るだけだろうが。
 開き直りやがった、と呟く彼女を抱き返し、その温かさに酔いしれた。
 朝になれば、お互い大変になるのが、予想できたから。


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