Side E Morning

 朝陽が目に刺さった結果、心地よい微睡と別れた。
 今まで、朝陽が目に刺さるほど強烈だった例はないが……。
 無意識のうちに掻き抱いていたらしい、腕の中の温もりが身じろぎする。
 このままこの温もりを抱いていられるなら、再び眠りに就いて一生目が覚めなくても……とまで考えて、そんな自分にぎょっとして、意識が覚醒した。
 馬鹿だろう。
 馬鹿だろう、私。
 思わず見開いた目に一番に飛び込んできたのは、自分のものではない髪と、そこから覗く大きな三角の……フェリス族の耳。
 昨日までよりも艶やかさを増したそれらは、思わず撫で回すか頬ずりをしたくなるような誘惑に満ち満ちていて……。
 既に温もりを抱いていた腕を放すのが惜しくて、そっと目の前の髪に顔をうずめた。
 甘い香りがする。
 嗚呼、本当に、永の眠りを望むなんて、馬鹿だ。
「指揮官殿ー?」
 何やらくぐもった声が聞こえる。
「ちょ、起きてるだろ、指揮官殿!?」
 背中を叩かれるが、これくらいならば痛くない。
「ああもう! ちょっと苦しいんだよ、カノン!」
 それはいけない。
 愛しい半身を苦しめるわけにはいかない。
 けれど、見上げてくる瞳に宿る、朝露のような輝きに頬が緩むのを止められないし、放すのが惜しいと感じてしまう。
「おはよう、私の羽」
 極上の宝石が、ふいと逸らされた。
「朝から色気を振りまくのは結構だけど、アタイ以外にそんな顔見せるんじゃねーぞ、カノン。一応、アンタは指揮官殿なんだからな」
「承知した。カノンがそう望むのならば、是非もない」
 頷いたというのに、彼女の表情は晴れない。
「ホントにわかってんのかなぁ……」
「むしろ、在り難い提案だがな。私の羽以外に傍に望む相手などいないのに、要らぬ愛想で争いの火種なぞ撒くものか」
「えーとだな、必要な愛想は振り撒けよ……?」
「……仕方ない、承知した」
「わかってもらえてることには安心したけど、別の意味で心配だよアタイ……」
 彼女の中では、そこで会話は一区切りついたらしい。
 カノンはするりと腕の中から抜け出し、立ち上がって大きく伸びをした。
「んーっ! 珍しく、良い朝だねぇ」
「そうか?」
 いつまでも横になっている意味も見付けられず、私も身を起こした。
 気分的に良い朝であるのは認めるが、何せ、今までになく朝陽が目に痛い。
 外の空気でも吸って気持ちを切り替えるかと、手櫛で髪を後ろに流し、カノンを追って天幕を出た。
 やはり、そこはかとなく、違和感。
 私が昨日まで見ていた景色は、こんな色だっただろうか。
 朝の空気は、ここまで何かを訴えかけてくるような濃密なものだっただろうか。
 こんなに自らの感覚が制御できないのは、初めてかもしれない。
 と、そこで、天幕を出た段階で私を持っていてくれたらしいカノンが、訝しげな表情になった。
「あれ、アンタ目ぇおかしくね?」
 唐突といえば唐突な言われ様に、面喰らったのは事実。
 どうして私の感じていることを言い当てたのだとか、おかしいとはどういうことだとか、言いたいことが纏まらない。
 私が混乱している間に、彼女は私の目を覗き込んだ。
 覗き込まれるということは、こちらからも覗き込めるということ。
 彼女の瞳を銀糸のような煌きが縁取っていることに気付き、少し気持ちが落ち着く。
 虹彩に金銀の煌きが混じるのは、高い魔力を持つ証。
 昨日までの彼女の瞳には、このような色などなかっただろう。
 ……私が、染めた色だ。
 密かに満足していたら、長い睫が彼女の目を陰らせた。
「ああ、やっぱりおかしい。鏡で確認してみなよ」
 言われるがまま作り出した水鏡に映し出した私の目は、確かに変化していた。
 具体的に言うなれば、瞳孔の形が、縦に長くなっていた。
 ふむ。
 心当たりは、無きにしも非ず。
 よくよく考えれば、起こりえた事態。
「……私の方も、混ざったか」
「混ざった?」
「存在……在り方や、魂といったものが」
 実際に混ざったことに関しては結構だが、今後について考えることが増えてしまった。
 下手に故郷に戻っても、嵐を呼ぶ可能性がある。
「それって混ざったりするものなのか?」
「うむ。羽に対して私たちを混ぜる……というか、分け与えるのは、一般的だ」
 カノンの尾が不安気に揺れたので、言葉が足りなかったと把握する。
「大体は、私たちを分け与えても、魔力や寿命が増えるだけだな。羽に焦がれる気持ちが強ければ、上位の存在に押し上げたり、私たちの特性や能力と言われるものの一部が混ざったりすることもあるが……」
 一尾だったカノンが二尾になったのはその所為だし、恐らく何かしら他の影響もあるだろう。
 そちらは、ある意味、普通だ。
 いや、よく考えれば十分おかしな点の指摘できる話だが、私たちにとっては普通だったのだ。
 問題は、私だ。
「いずれにせよ、私たちが分け与えることはあっても、逆は滅多にない。正確には、多少影響を受けることはあっても、私ほど露骨に表れはしない」
「なんで」
「クソくだらないプライドの問題だろうな。私たちは高みにいるべき種族であり、混ざるのは未熟で力のない証拠、一族にはふさわしくない……と、よく聞かされたものだ」
「けったくそ悪いプライドだな」
 眉を顰めたカノンが、吐き捨てる。
「よく考えれば、傲慢な考えなんだがな。引き籠もりすぎて、誰にも指摘されないまま歪んだと思われる」
「って、ちょい待てよ! そうなったら、アンタどうなる? 混ざったんだろ? なんで?」
 一転して私を心配する愛しの羽が、本当に私の羽で良かったと心の底から感謝する。
「理由の方は、恐らく、羽を諦めて自分の存在を消そうとしたからだろう」
「魂を崩壊させるって有名だけど」
 有名、とは初めて聞くが。
 私たちが如何に独りよがりな存在なのか、よく解ろうというものだ。
「なんだ、有名だったのか。なら話は早い。削れた魂を、そなたの存在が補った。その分、深く影響を受けただけだ」
「受けただけって言われても、それって大丈夫なのか?」
「本来は、お互いの合意の上で共に影響を受けるのが筋ではないか?」
 カノンは、何故か顔を歪めた。
「ちげーよ! いや、まぁ、筋の方はわかったけど、アンタは……! 魂が欠けたってことなんだろ。そっちは!」
「羽の方から飛び込んできてくれたから、完全に手遅れになる前に生き延びた」
「どんだけ心臓に悪かったか、わかってんだろうな!」
「愚かだったよ。今も、馬鹿だ。だが、おかげで深く混ざれた。それが幸せだ」
 口を開いたり閉じたり、拳を握ったり緩めたりしていた私の羽が、最終的に口にしたのは、「馬鹿」の一言だった。
「もう、どーすんだよ」
「どうするかな……。いっそ、愛の逃避行とやらも悪くあるまい」
「アンタ、一気に人格崩壊させすぎだよ」
「だが、きっと今の私なら酒が飲めるぞ?」
「むしろ、元々飲めなかった事実の方が驚きなんだけど。んじゃ、今夜あたり、飲んでみるかい?」
「そうだな」
 昨日までは考えることもなく、考えられもしなかった新たな日々が、始まろうとしている。
 恐らく、今の状況を一昨日の私に告げたところで、信じることはあるまい。
 目の前に私の羽がいる。
 それだけで、今後何が起ころうとも乗り切れる気がするから、世の中は本当に不思議なものだ。


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