微かな呻き声で、眠りの世界から引き起こされた。
今更こんな至近距離で声がするなんて、誰だと考える。
確かに、奴隷だった頃や、一番下っ端だった時は、狭い部屋に雑魚寝だった。
けど、傭兵部隊のそこそこの地位まで生き延び、上り詰めた努力の甲斐あって、今じゃちゃんと一人寝を楽しめたハズなんだ。
昨夜は酒盛りもしていない。
って、昨夜……昨夜!?
やっと、目が覚めた。
思わず、腕を回している相手の温もりを確かめる。
誰かと身を寄せ合うようにして眠ったのは……それを望んだのは、本当に、どれだけぶりだろう。
勝手にアタイのことを諦め、消えかけた馬鹿なカノン。
なかなか体温の戻らなかったカノン。
アタイを抱きしめて、「温かいな」なんて切ない笑顔で言われる日が来ようとは、夢にも思わなかったけど。
そんな状態で、放り出して、帰れなかった。
先程の呻き声がカノンのものだとすると、まさか何かあった!?
飛び起きようとしたところで、逃がすものかとばかりにぎゅっと抱きしめる力が強くなる。
……無意識かワザとか、あざといことしやがって。
でも多分、これは起きてるな。
「指揮官殿ー?」
声を上げるも、反応なし。
「ちょ、起きてるだろ、指揮官殿!?」
背中を叩く。
あまり強く叩くのもどうかと思ったけれど、だからといってお返しに拘束強めるとか、大人げないぞ。
「ああもう! ちょっと苦しいんだよ、カノン!」
流石に声を荒げたら、今度は素直に腕が解かれた。
あー、くそっ。
今のアタイ、ちょっと涙目になってるかもしれない。
少しぼやけた視界の中、カノンが朝っぱらからイーイ笑顔で愛を囁く。
「おはよう、私の羽」
だから、その、朝っぱらから、そんな腰に来そうな声で愛の言葉を囁くな!
ついでに、そんな蕩けそうな顔で笑うな!
食らいつきたくなるじゃねーか、馬鹿カノン!!
「朝から色気を振りまくのは結構だけど、アタイ以外にそんな顔見せるんじゃねーぞ、カノン。一応、アンタは指揮官殿なんだからな」
せっかく真面目に忠告してやってるのに、カノンときたら、あっさりと頷いてくる。
「承知した。カノンがそう望むのならば、是非もない」
アンタ、もしかして、アタイの言葉なら何でも頷くんじゃないだろうなぁ?
ちょいと、心配だよ。
「ホントにわかってんのかなぁ……」
思わず、ぼやきを漏らしたら、カノンが真顔になった。
「むしろ、在り難い提案だがな。私の羽以外に傍に望む相手などいないのに、要らぬ愛想で争いの火種なぞ撒くものか」
ヤバい、コイツ、本気だ。
「えーとだな、必要な愛想は振り撒けよ……?」
「……仕方ない、承知した」
「わかってもらえてることには安心したけど、別の意味で心配だよアタイ……」
でも、結局はアタイにはどうしようもないこと。
それなら、これ以上この話を続けるのはナシだ。
カノンの腕から抜け出して立ち上がり、体を伸ばしほぐす。
「んーっ! 珍しく、良い朝だねぇ」
朝にこんなに眠気を引きずらないなんて、素晴らしい。
「そうか?」
ルンルンと鼻唄を歌いたい気分で外に出たら、カノンも髪を手櫛で後ろに流しながらついてきた。
だ・か・ら!
そんな流し目のような表情、すんな!
朝には強いハズのカノンが、目を瞬かせ、目尻をぬぐっている。
これはこれで、無防備な隙をついて襲ってしまいたい感じなんだけど、珍しいな。
そう思ってジッと見ていたら、気付いた。
気付いてしまった。
「あれ、アンタ目ぇおかしくね?」
ひゅっと息を呑んだカノンの目が、正確には、その瞳が、縦に細くなっている。
その形そのものにはイヤというほど見覚えがあるけれど、でも、カノンの瞳はこんなじゃなかったハズだ。
もっと、円かったハズで。
覗き込んでみて確信する、昨日とは絶対に違う。
なんで、どうして、アタイみたいな目になってる!?
「ああ、やっぱりおかしい。鏡で確認してみなよ」
カノンはその場で水鏡を作り出し、ふむ、と声を漏らした。
「……私の方も、混ざったか」
「混ざった?」
「存在……在り方や、魂といったものが」
どうやら、心当たりそのものはあるらしい。
けれど、いちいち言葉選びが物騒だ。
「それって混ざったりするものなのか?」
「うむ。羽に対して私たちを混ぜる……というか、分け与えるのは、一般的だ」
一般的。
もしかして、昨夜も。
削られた魂から、更に?
「大体は、私たちを分け与えても、魔力や寿命が増えるだけだな。羽に焦がれる気持ちが強ければ、上位の存在に押し上げたり、私たちの特性や能力と言われるものの一部が混ざったりすることもあるが……」
カノンは、ふと考え込む仕草を見せた。
だから、アタイの方にも考える時間ができた。
上位の存在。
一尾から二尾に増えた。
焦がれる気持ちが強かったら、とカノンは言う。
なのに諦めて消えかけてるんだから、どんなに考えてもカノンが馬鹿にしか思えない。
アタイの尻尾を増やすほど焦がれていながら、アタイの気持ちを察せられずに諦めるんだから、馬鹿だ。
増してや、消えかけていた直後にアタイに魂なんか分け与えているのだから、そりゃ、体調も思わしくなくなるだろうよ。
そうこう考えている間に、カノンが説明を再開した。
「いずれにせよ、私たちが分け与えることはあっても、逆は滅多にない。正確には、多少影響を受けることはあっても、私ほど露骨に表れはしない」
「なんで」
問いかけに対して、カノンは僅かに口の端を上げた。
自嘲のような笑みは、初めて見た。
「クソくだらないプライドの問題だろうな。私たちは高みにいるべき種族であり、混ざるのは未熟で力のない証拠、一族にはふさわしくない……と、よく聞かされたものだ」
「けったくそ悪いプライドだな」
「よく考えれば、傲慢な考えなんだがな。引き籠もりすぎて、誰にも指摘されないまま歪んだと思われる」
当たり前のように、アタイの考えに同調してくれるカノン。
昨日までなら、もっと誇りがどうの、とか口にしていたハズだった。
考え方すら変わるほど、アタイから受けている影響が強いということか?
エルフ族が、アタイみたいな考え方をして、一族から追放されたりは……。
「って、ちょい待てよ! そうなったら、アンタどうなる? 混ざったんだろ? なんで?」
言葉が溢れて止まらない。
アンタは、もっと賢く立ち回っていた。
立ち回れたハズなんだ。
「理由の方は、恐らく、羽を諦めて自分の存在を消そうとしたからだろう」
「魂を崩壊させるって有名だけど」
「なんだ、有名だったのか。なら話は早い。削れた魂を、そなたの存在が補った。その分、深く影響を受けただけだ」
「受けただけって言われても、それって大丈夫なのか?」
「本来は、お互いの合意の上で共に影響を受けるのが筋ではないか?」
あっさり言ってくれるけど……!
違う、聞きたいのはそっちじゃない。
ちくしょう、頭の良いヤツが馬鹿をこじらせると超厄介な存在になるのはよくわかった。
わかったけど、アンタ、わかってないんだよ……!
「ちげーよ! いや、まぁ、筋の方はわかったけど、アンタは……! 魂が欠けたってことなんだろ。そっちは!」
「羽の方から飛び込んできてくれたから、完全に手遅れになる前に生き延びた」
「どんだけ心臓に悪かったか、わかってんだろうな!」
「愚かだったよ。今も、馬鹿だ。だが、おかげで深く混ざれた。それが幸せだ」
それで消えかけているくせに何が幸せだ、とか、深く混ざりすぎて今から困りそうなのに、とか、アタイの気持ちももっと察しろよ、とか、本当に愚かとか馬鹿の意味わかってんだろうな、とか、言いたいことが山積みにされすぎて、一言絞り出すのが精一杯だった。
「馬鹿」
この場でぶん殴らなかっただけ、アタイも確かに影響を受けている、気はする。
握りしめた拳から力を抜いてプラプラさせて、深呼吸。
「もう、どーすんだよ」
「どうするかな……。いっそ、愛の逃避行とやらも悪くあるまい」
断じて、憑き物の落ちたような、いっそ清々しいまでの笑顔で提案する内容じゃない。
そういった乙女の夢物語には疎い一族だと認識していたのに、アタイまで馬鹿になったみたいに翻弄される。
「アンタ、一気に人格崩壊させすぎだよ」
「だが、きっと今の私なら酒が飲めるぞ?」
「むしろ、元々飲めなかった事実の方が驚きなんだけど。んじゃ、今夜あたり、飲んでみるかい?」
「そうだな」
昨日までは、夢想はしていても非現実的だと笑っていた筈の未来が、現実にある。
というか、ぶっちゃけ、夢想していた以上にとんでもない日々が始まりそうだ。
それでもアタイは構わない。
手に入れたいと思っていた輝きを、手に入れた。
もう、それで何とかなるんじゃないかな。