おかしい。
何がおかしいって、指揮官殿が夕食も無視して天幕に引きこもってるのがおかしい。
最初の頃はふとした拍子に引きこもっていたらしいけれど、最近は食事には顔を出していた筈なのに。
誰も気にしていない……というか、アタイとの約束があるから待ってるんじゃねーの、なんて言われる始末だったので、アタイは腰を上げた。
ちげーよ、バカ。
アイツは律儀なヤツだ。
アタイとの約束があるなら、時間は決めるし、守らなければ声を掛けに来るくらいの真面目君なんだよ。
アイツのように光を魔法で維持するなんて芸当はできないけれど、警戒されるわけにもいかないので、手に明かりを持つ。
正直、夜は、星の光で十分だし、音や匂いで何とかなることも多いんだかね。
久々に何か考えるコトでもあったのか、目を伏せたまま微動だにしない指揮官殿。
やっと立ち上がりかけて、近付くアタイに気付いたらしく、また動きを中途半端に止めた。
上下する喉が、なまめかしい。
むしゃぶりつきたいくらいに、色っぽい。
「そういえば、奢らねばならなかったな」
掠れた色気ある声も、普段なら大歓迎。
だけれど、よっぽど一人でいたかったのだろう、肩を竦める動作も、アタイを気遣う声も、精彩に欠けている。
そんな相手をどうこうしようなんて、考えられないよ。
「はんっ、そのつもりで来たけど、興醒めだ。今の腑抜けたツラしたアンタになんか、タカるもんかい」
ゆらゆらと瞳が揺れているように見えるのは、きっと、明かりの所為。
「腑抜けた……か」
呟いた指揮官殿が、再び思考の海に潜る。
潜って潜って、アタイを置いて……。
……ねぇ、アンタ、どこまで潜るつもりだい?
気のせい。
気のせいだ。
アンタ、どんどん存在感を失ってないか!?
「カノン」
ねぇ、今のはどっちの言葉。
「カノン?」
応えたのは、誰。
気のせいじゃない。
白い肌から、更に血の気が引いて。
蒼褪めた表情、目の焦点が合っていない。
思わず手を伸ばし、肩を掴もうとして。
指揮官殿が、首を横に振る。
「行くがいい、私には過ぎた相手だった」
何それ、どういうこと。
言葉の意味が、理解できない。
「私の羽」
囁かれた言葉に、アタイまで血の気が引いた。
ちょっと待て。
頼むから、待って。
それ、ひょっとしなくても、エルフ族の最大級の求愛の言葉……!?
かつては羽を持っていたと言われるエルフ族。
失われた羽を求める習性だけが、唯一の本能なんじゃないかって言われてたエルフ族。
羽を諦めた瞬間、魂を崩壊させてしまうエルフ族。
一瞬にして思い出した伝承に、さっきの言葉が木霊する。
「ああぁ、もう、バッカじゃねーの!?」
つまり、アンタは、アタイを諦めたわけだ。
「勝手に告白して、返事も聞かずに勝手に絶望とか、ざっけんじゃない!」
せめて、アタイの返事を聞いてくれれば良かった。
決して、こんなことにはならなかったのに。
もう躊躇しない。
できない。
抱き締めた身体は既に冷え切っていて。
アタイの全力を相手に、痛いとも言わないし、振り払いもしない。
天を仰ぐ瞳は、何も映さない。
嫌だ、嫌だよ、カノン。
どうして、勝手に諦めたんだ。
「馬鹿バカっ、逝くなよカノン、戻ってこいったら……!!」
泣いても喚いても、カノンが羽を諦めた事実は変わらない。
せめて、せめて命を引き留めたい。
引き戻せなくても、アタイだってアンタを愛してるんだと、伝えたかった。
重ねた唇も、氷のよう。
ああ、こんなふうに、物言わぬ相手に口付けたかったんじゃない。
かなしみにあふれてそっと顔を離すと、何となく、視線が合ったような気がした。
気のせいかもしれない。
けれど、気のせいでも、もういい。
諦めた命なら。
捨て去るというのならば。
「消え去るくらいならアタイのモノになれ、カノン」
本音を取り繕うこともせずに言えば、思わぬ返事が聞こえた。
「ああ、カノン。私の羽。この命朽ちるまでそなたに捧げよう」
もう聞けないと思っていた声。
歓喜に身体が震える。
てか、アタイも相当開き直ったと思うけど、アンタも大概だな!
命朽ちるまで捧げるとか……気障すぎて毛が逆立つっての。
そんでもって、もう蕩けんばかりの笑顔なんて向けられた日には、アタイの理性がヤバい。
「そ、その笑顔は反則だろ、カノン……!」
普段の仏頂面はどこに行った。
「知らぬ」
だから、そんな可愛い顔で拗ねるな!
「見ろよ、アタイの尻尾まで……」
毛が逆立……って?
え?
ええ?
「アタイの尻尾が増えてるー!?」
フェリス族の尻尾は、基本的に一尾。
二尾のフェリス族は珍しい。
具体的に言うと、魔法の素養のあるフェリス族が長生きしてやっと、二尾になる可能性があると言われる。
言われるだけだ。
見たことなんてない。
ましてや、魔法方面の才能がからっきしで若いアタイが、二尾になるなんてありえない……!
なのにカノンは、あっさりとした反応だった。
「当然だ」
「何が!?」
「私の命を捧げると言ったぞ。それくらいの変化を起こしてもらわないと、寿命の差を埋められないではないか」
「……流石、神秘の種族。アンタ等って、強いんだが儚いんだが、もうアタイ深く考えない方が良い気がしてきた」
精神的には振られた程度で消滅するくらい儚いくせに、なんだそのデタラメ。
「それが賢明だな」
尊大に頷くカノンは、本気で何かを吹っ切ったのか、アタイを抱き返してきた。
何がどうなってこうなったか、もう訳わかんないけど。
取り敢えずは、まぁ、めでたしめでたしでいいのかな?