Side L 03

 仄明るい瞼の裏側の朱に、肌触りの良い敷き布に、妙に軽い掛布団の重さ。
 嗅ぎ慣れない、渋みのある木と、青々とした草のニオイ。
 ……ついでに、ひんやりとした心地よい冷感とズキズキとした不快な熱感をないまぜにして伝えてくる、後頭部。
 現実感のありすぎる幻覚だ。
 思い出せ、何が起こった?
 迷いの森、白い仔猫、小さな湧水、ブランコ、舌足らずな幼い声、白銀の幻影、碧い瞳。
 脳裏に浮かぶ面影に腕を伸ばしかけたのに、再び自己主張を始めた痛みが邪魔をした。
 そうだよ、頭打って倒れたんだよ。
 うわぁ、みっともねー。
 修行のやり直しだよな、うん。
 そっと薄目を開けると、不思議な作りの天井が目に入った。
 どっかで見たこともあるような構造なんだけど、木じゃない、草じゃない、石じゃない、泥でもない。
 薄生成り色で、細かい線が一定方向に並んで……んー、一定方向っていうか、これは放射状か。
 流石に、ここまで手の込んだモンを、倒れた相手に見せる意味はねーわな?
 てか、よくよく考えりゃ、相手は魔族じゃなかった、フェリス族みたいな感じだった。
 確か……二尾以上のフェリス族は、幻術大得意だっけ。
 しかも、自分の姿を誤魔化す系のヤツ。
 んじゃあまあ、白猫はあのフェリス族だとして、ココはドコだ?
 フェリス族の里なんて、迷いの森の近くにあったか?
 上半身を起こし、うーんうーんと唸っていたら、ぽふぽふと、奇妙にくぐもった足音、甘い香りが近付いてくる。
 この状況で何かされるならとっくの昔にされてるだろうし、敢えて力を抜いて扉を見守っていたら、片手では少し余るくらいの布袋を片腕に抱えて、件の少女が顔を覗かせた。
「大丈夫ですか?」
 幼くもない、舌足らずでもない。
 ああ、でも、鈴のなるような声、どこか懐かしい。
 今日は懐かしいと感じるものばかりで、でも覚えもないものだから、もどかしいことこの上ない。
 ただでさえ打ったせいで痛む頭が、余計に痛くなりそうだ。
「……あの、頭、やっぱり、痛みますか」
「あ、ああ! それは、そこまででもないです。ご心配かけて、すみません」
 考え込んでいた時間が長すぎたらしく、少女が顔を曇らせていた。
 それが何だかとってもいたたまれなくて慌てて返事をしたのに、彼女の耳がペタンと伏せてしまったものだから、俺はますます慌てた。
「え、え、本当に、痛いのは少しだけ! 少しだけですから!」
 少女は一瞬顔を俯かせ、すぐに取り繕ったかのように顔を上げて眉尻を下げたまま、微笑んだ。
「ご無事で良かったです。でも、どうか、無理はなさらないで。治癒の魔法も最低限しか使っていないですし、痛み止めの薬草も換えなくてはならないのですから」
 なるほど、彼女の抱える布袋や俺の寝ていたベッドの枕から、覚えのある薬草の香りがするわけだ。
「薬草、換えますね」
 少女が布袋を広げ、軽く絞ると、袋はすぐに緑色に染まった。
 あらかじめ薬草を磨り潰しておいたんだろうな。
 意外と細長かった布袋が、慎重に俺の後頭部に当てられ、額の前で結ばれる。
 よく、水枕や氷枕が落ちないように上から包帯なんかで結ぶ、その前後反対みたいな状態になった。
 薬草には熱を引かせる効果のものも含まれるのか、すごく冷やっこくて気持ちいい。
「ありがとうございます。ええと……」
「申し遅れました。私はアルジェリナ。シルヴァ族に名を連ねる者です」
 少女、改めアルジェリナの声は、少し震えていた。
 この時の俺は、その理由など推し量る術もなく。
「そうですか。ありがとうございます、アルジェリナさん」
 言いながら、はてと心の中で首を傾げる。
 シルヴァ族……?
 フェリス族じゃなくて?
 そんな俺の困惑を知ってか知らずか、アルジェリナは微笑んだ。
「いえ、元はと言えば私のせいで倒れてしまわれたのですもの、これくらいはさせてくださいまし」
 今度こそ、首を傾げると、彼女は申し訳なさそうに説明してくれる。
 どうやら、彼女の幻術に掛かりそうになった俺は、我に返った瞬間に逃れようとのけぞり……背後にあった木に思いっ切り後頭部をぶつけて倒れたんだそうな。
 うわぁ、やっぱりそうだったのか、この上なく恥ずかしい!
「目覚められて何よりです。始祖様にも報告しないと」
 俺が身悶えているのにはあまり触れずにいてくれる心遣いが嬉しいやら情けないやら。
 気付いた時にはアルジェリナは部屋を出ようとしており、扉に手を掛けていた。
 その後ろ姿にどうしようもない衝動が湧き上がり、俺は思わずベッドから飛び降りて彼女を追おうとした……のだけれど。
 ……。
 いや、うん、まさか、な?
 床が妙に軟らかいとか、思わねーよな?
 まさかの床に足を取られての華麗なる顔面ダイブを決めた俺を、誰が責められようか。
 ああ、うん、親父なんかは爆笑しそうだけど。
 だから俺は、床が立てたボムッという音に邪魔されて、アルジェリナが咄嗟に呼んだであろう俺の名前を聞きそびれた。
「大丈夫ですか、旅のお方!?」
 慌てて駆け戻ってきて、床に顔を埋めたまま震える俺に声を掛けてくれるアルジェリナ。
 鼻がツーンとしているのは、断じて床が痛かったからではない。
 自分が情けなさすぎたからだ!
 絶対、絶対に、修行のやり直しが必要だ!


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