忘れもしないその日は、とても寒い冬の日で。
冴える風に乗った雪の結晶が舞い踊るのを、窓から見上げていました。
こんな凍える中でも、やはり子供たちは元気なもの。
雪合戦をしているのでしょうか、わいのわいのと騒ぐ声が聞こえてきます。
既に手はかじかんでいるでしょうに……。
既に霜焼けを起こしていても、おかしくはないでしょうに……。
雪の中に石でも仕込まれていたのか。
それとも、大人たちの誰かのように、滑って転んでしまったのか。
痛いという悲鳴と、べそをかくような啜り泣きが耳に届きます。
ああ、痛いと泣くのならば、痛いのでしょう。
そんな声を拾っても、わたくしにできることは、ただ痛みが癒えるように祈ることのみ。
「あら。珍しいわね」
ふと、窓の外から、聞きなれない女性の声。
雪の白さにも負けない、純白のローブ。
その横からほんの少し覗く、射干玉のような漆黒の髪。
けれど、わたくしを震え上がらせたのは、彼女の内包する何かしらの空気と、彼女の腰にある武具の存在感。
子供たちのごっこ遊びなんかとは違う、本物の、職業武人……!
「ごめんね、怖がらせるつもりはなかったのよ。
ただ、本当に、珍しいと思っただけなの」
困ったような声の調子には、子供たちほどの闘気も含まれていませんでした。
ですので、わたくしは、心を奮い立たせて、改めてその女性と向かい合いました。
「珍しい……でしょうか」
「そうね、珍しいわ。
貴女は感じない? 他のヒトには見つからない何かを、わたしから。
わたしは、同じように気配を追って、貴女を見付けたのよ」
気配を、と言われましても、そもそもわたくしはあまり人とは触れ合ってこなかったのです。
窓の外にいた子供たちと、この女性との、差……。
「貴女様からは、鞘に納められ……幾重にも紐を掛けられた刃のイメージが伝わるのです。
解き放たれれば、それは不用意に不躾に貴女様に触れようとする全てを切り裂く、研ぎ澄まされた刀……。
普段は、わたくしは、人間よりも武具を目にするのが恐ろしい。
ですが、貴女様に限っては……武具の恐ろしさよりも……」
わたくしはそこでハッとしました。
「すみません。
おそらく、貴女様は、わたくしの為に紐まで掛けてくださったのに……」
「初対面でそこまで読んでしまうのね。もう少し気配を抑えるべきだったかしら?」
「たとえ紐に雁字搦めにしたとて、奥に刃があれば、その雰囲気は伝わると思います。
刃は恐ろしい、ですが。貴女様の刀は、神秘的な美しさすら感じます」
その女性は、クスッと笑いました。
「思ったよりも饒舌ね?」
それは、わたくし自身が、思っていたこと。
あまりにも直接誰かと言葉を交わしたことがなくて、きっと間合いの取り方を忘れているのでしょう。
ならば、これ以上は慎まなくては。
「ああ、だからといって、そんな悲しそうな顔で黙り込まないで。
せっかくの美しい顔が、台無しよ」
美しい? このわたくしが?
……ありえない、アリエナイ。
だって、何故なら、わたくしは。
「鬼子に向かって滅多なことは仰らないことです。
呪われても、わたくしには、祈ることしかできやしない」
白い髪が、紅い目が、不吉だと、醜いと。
……呪われていると。
それを美しいなどと、冗談でも言うものではないと、そう思うのです。
「あら、美しいものを美しいと言って、何が悪いの。
貴女の顔立ち、どれだけ整っているか。まるで神様の作り出したお人形さんみたいよ。
それに、祈ってくれるなら、それで十分。
貴女、気付いていて? 貴女自身の能力のこと。
何故、鬼子の見える範囲に、こんなに子供たちが集まるのか。考えたことはある?」
子供たちはいつも、そこにいたから。
わたくしは、そんなこと、考えたことがありませんでした。
首を横に振って否定するわたくしに、女性は陽だまりのような温かい声音で続けました。
「貴女が祈ってくれるとね、癒しの力が働くのよ。
貴女はきっと、わたしのように戦う力は持っていない。
その分、癒しの力に優れているのね。
でなければ……白子の要素を持つ貴女が、この齢まで何の障害もなく生きていることの説明もつかないわ」
癒しの力……?
「わからない? 貴女もまた、『神の眷属』と呼ばれる者。
……もし、武芸にその能力を開花させていたならば、貴女は」
「滅多なことは仰らないで!」
わたくしは、今度こそ悲鳴を上げていました。
わたくしの名は、刀姫。
刀姫……剣戟師に生まれることを願われ、けれど虚弱な体を持ち、武具に怯え、秘められるしかなかった無能者。
……成人までも生きられぬと、烙印を押されたデキソコナイ。
わたくしにできることは、窓の中から祈ること、ただそれだけ……。
「ごめんなさい。言葉の選び方が軽率だったわ。
だから、ね? もう心の中だけで泣かないで。貴女の嘆きが強すぎて、心の声までわたしに投げつけているわ」
格子から差しのべられた手は、わたくしが想像していたよりもずっと華奢でした。
雪に冷えたその手が、わたくしの頬を撫で、髪を一房掬うのを、わたくしは動くこともできずにただ眺めていました。
「少し、下がってくれるかしら?」
髪を放した手が、トン、とわたくしの胸に当たります。
押されたように、思わず数歩退くと、チリリン、と鈴の音。
部屋の結界が、破られた音。
窓のあった場所が大きな扉になるのを、わたくしは呆然と見ているしかありませんでした。
「貴女はこれ以上、ここにいてはいけないと思うわ。
翼を完全に腐らせる前に、さぁ……」
雪が吹き込んで、風が舞って、凛とした声が、告げました。
「一度は、籠の外の世界もご覧なさいな。
そして決めなさい。いつまでも、このまま嘆いて過ごすのかを」