雪に誘われしとき 02

 忘れもしないその日は、とても寒い冬の日で。
 冴える風に乗った雪の結晶が舞い踊るのを、窓から見上げていました。

 こんな凍える中でも、やはり子供たちは元気なもの。
 雪合戦をしているのでしょうか、わいのわいのと騒ぐ声が聞こえてきます。
 既に手はかじかんでいるでしょうに……。
 既に霜焼けを起こしていても、おかしくはないでしょうに……。

 雪の中に石でも仕込まれていたのか。
 それとも、大人たちの誰かのように、滑って転んでしまったのか。
 痛いという悲鳴と、べそをかくような啜り泣きが耳に届きます。
 ああ、痛いと泣くのならば、痛いのでしょう。
 そんな声を拾っても、わたくしにできることは、ただ痛みが癒えるように祈ることのみ。

「あら。珍しいわね」

 ふと、窓の外から、聞きなれない女性の声。

 雪の白さにも負けない、純白のローブ。
 その横からほんの少し覗く、射干玉のような漆黒の髪。

 けれど、わたくしを震え上がらせたのは、彼女の内包する何かしらの空気と、彼女の腰にある武具の存在感。
 子供たちのごっこ遊びなんかとは違う、本物の、職業武人……!

「ごめんね、怖がらせるつもりはなかったのよ。
 ただ、本当に、珍しいと思っただけなの」

 困ったような声の調子には、子供たちほどの闘気も含まれていませんでした。
 ですので、わたくしは、心を奮い立たせて、改めてその女性と向かい合いました。

「珍しい……でしょうか」
「そうね、珍しいわ。
 貴女は感じない? 他のヒトには見つからない何かを、わたしから。
 わたしは、同じように気配を追って、貴女を見付けたのよ」

 気配を、と言われましても、そもそもわたくしはあまり人とは触れ合ってこなかったのです。
 窓の外にいた子供たちと、この女性との、差……。

「貴女様からは、鞘に納められ……幾重にも紐を掛けられた刃のイメージが伝わるのです。
 解き放たれれば、それは不用意に不躾に貴女様に触れようとする全てを切り裂く、研ぎ澄まされた刀……。
 普段は、わたくしは、人間よりも武具を目にするのが恐ろしい。
 ですが、貴女様に限っては……武具の恐ろしさよりも……」

 わたくしはそこでハッとしました。

「すみません。
 おそらく、貴女様は、わたくしの為に紐まで掛けてくださったのに……」
「初対面でそこまで読んでしまうのね。もう少し気配を抑えるべきだったかしら?」
「たとえ紐に雁字搦めにしたとて、奥に刃があれば、その雰囲気は伝わると思います。
 刃は恐ろしい、ですが。貴女様の刀は、神秘的な美しさすら感じます」

 その女性は、クスッと笑いました。

「思ったよりも饒舌ね?」

 それは、わたくし自身が、思っていたこと。
 あまりにも直接誰かと言葉を交わしたことがなくて、きっと間合いの取り方を忘れているのでしょう。
 ならば、これ以上は慎まなくては。

「ああ、だからといって、そんな悲しそうな顔で黙り込まないで。
 せっかくの美しい顔が、台無しよ」

 美しい? このわたくしが?
 ……ありえない、アリエナイ。
 だって、何故なら、わたくしは。

「鬼子に向かって滅多なことは仰らないことです。
 呪われても、わたくしには、祈ることしかできやしない」

 白い髪が、紅い目が、不吉だと、醜いと。
 ……呪われていると。

 それを美しいなどと、冗談でも言うものではないと、そう思うのです。

「あら、美しいものを美しいと言って、何が悪いの。
 貴女の顔立ち、どれだけ整っているか。まるで神様の作り出したお人形さんみたいよ。
 それに、祈ってくれるなら、それで十分。
 貴女、気付いていて? 貴女自身の能力のこと。
 何故、鬼子の見える範囲に、こんなに子供たちが集まるのか。考えたことはある?」

 子供たちはいつも、そこにいたから。
 わたくしは、そんなこと、考えたことがありませんでした。
 首を横に振って否定するわたくしに、女性は陽だまりのような温かい声音で続けました。

「貴女が祈ってくれるとね、癒しの力が働くのよ。
 貴女はきっと、わたしのように戦う力は持っていない。
 その分、癒しの力に優れているのね。
 でなければ……白子の要素を持つ貴女が、この齢まで何の障害もなく生きていることの説明もつかないわ」

 癒しの力……?

「わからない? 貴女もまた、『神の眷属』と呼ばれる者。
 ……もし、武芸にその能力を開花させていたならば、貴女は」
「滅多なことは仰らないで!」

 わたくしは、今度こそ悲鳴を上げていました。
 わたくしの名は、刀姫。
 刀姫……剣戟師に生まれることを願われ、けれど虚弱な体を持ち、武具に怯え、秘められるしかなかった無能者。
 ……成人までも生きられぬと、烙印を押されたデキソコナイ。
 わたくしにできることは、窓の中から祈ること、ただそれだけ……。

「ごめんなさい。言葉の選び方が軽率だったわ。
 だから、ね? もう心の中だけで泣かないで。貴女の嘆きが強すぎて、心の声までわたしに投げつけているわ」

 格子から差しのべられた手は、わたくしが想像していたよりもずっと華奢でした。
 雪に冷えたその手が、わたくしの頬を撫で、髪を一房掬うのを、わたくしは動くこともできずにただ眺めていました。

「少し、下がってくれるかしら?」

 髪を放した手が、トン、とわたくしの胸に当たります。
 押されたように、思わず数歩退くと、チリリン、と鈴の音。
 部屋の結界が、破られた音。
 窓のあった場所が大きな扉になるのを、わたくしは呆然と見ているしかありませんでした。

「貴女はこれ以上、ここにいてはいけないと思うわ。
 翼を完全に腐らせる前に、さぁ……」

 雪が吹き込んで、風が舞って、凛とした声が、告げました。

「一度は、籠の外の世界もご覧なさいな。
 そして決めなさい。いつまでも、このまま嘆いて過ごすのかを」


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