パチパチと薪の爆ぜるような音。
頬を撫でる冷たい風。
その長さゆえに、すぐに縺れ、絡まるであろう髪を梳く、優しい手……。
……優しい手?
「やっとお目覚め? お寝坊さん」
視界の大半を埋めるのは、大きな双丘。
その合間から覗く、雪が降っていたのが嘘のような、雲一つない星空。
逆さに映る、艶やかな黒髪を後ろに回した、わたくしと殆ど歳の変わらぬ女性は仄かな光を纏い。
黒曜石の瞳は焚火の反射も相まって、柔らかで温かな輝きを放っています。
わたくしは……わたくしは一体……。
ハッとして身体を見下ろすも、破れた様子も煤けた様子もない、まるで買ったばかりのような服。
そして後頭部から肩にかけて感じる、この弾力は……。
起き上がろうと思っても、見透かされたように髪を梳かれれば、動きようがありません。
「もう少し段階を踏むべきだったわね。
闘う力に長ける剣戟師ならいざ知らず、癒し手なのに何も知らされずに、ただ不当に貶められても神格を保てる者なんて……。
そりゃあ、そうそういないわよね。ましてや、貴女が置かれていたあの状況を考えたら……違うアプローチも必要だわ」
しんかく……保つ……?
「『神の眷属』について、聞いたことはあって?」
この状況で首を振るような余裕はなかったので、わたくしは小さな声で「いいえ」と答えました。
彼女が口にしたその言葉は、他の人からは殆ど聞いたことのないもので。
恐らくは、剣戟師と何かしらの関係はあるのだろうなと、ぼんやりと把握したのみだったのです。
けれど、その言葉の響き。『神の眷属』と、しんかく……しんかく……神格!?
「気付いたみたいね」
え、そんな、わたくしに、まさか……?
「さっきはそこまで理解できなかったようね。
わたしは言ったわよ?
貴女もまた、『神の眷属』であると」
ありえない、と。
愚かにも、まず思い浮かんだのは否定の言葉でした。
「信じられないって顔をしてるわね?
確かに、一般的には剣戟師ばかりが『神の眷属』であると考えられがちだけれど。
何も、剣戟ばかりが神の望む使命とは限らないのよ。
わたしにはわたしの使命があるように、貴女にも貴女の使命がある。
そしてそれが、癒しであったというだけ。
いい? 貴女、思ったよりも鈍くて頑固そうだから、もう一度言うわね。
貴女もまた、癒しの力を持つ『神の眷属』なのよ」
駆け抜けてきたこの短い間に、何度も聞いた「癒す」「治す」という言葉。
実感が薄く、他の事ばかり優先してきて、深く考えなかった言葉。
わたくしには、癒す力があるのだと、言われ……。
治してくれてありがとう、とお礼まで言われていたのに。
どうしても、それを心から信じられませんでした。
そっと、流していました。
――わたくしにできることは、祈ることだけ……。
「祈ることしかできないのにって、そう考えた?
貴女の祈りが何をもたらすのか、実際に見せた方が早いのかしら」
その女性は、やおら小刀を取り出すと、それを指に這わせました。
とてもゆっくりと行われたその動作は、それゆえに目に焼き付いて。
血が流れている、痛そう。
血が流れている、わたくしの目の前で。
ああ、どうして。
ああ、痛そう。
痛いのは、つらい、苦しいから。
早く、早く治って……。
ふわりと、夜闇の中に浮かぶ、季節外れの蛍のような。
ふらりと、夜空から落ちてくる、星屑が。
煌いて。
輝いて。
流れていた紅が、滞る。
……滞る?
「刃物で切った傷が、押さえもしないのにこんなに早く止まる筈がないのは、わかるわよね?
治してくれて、ありがとう」
……嗚呼、神様。
「奇跡を起こす、それが『神の眷属』たる証。
流石にこれで、納得できたでしょ」
わたくしは、何と申せば良いのでしょうか。