雪に誘われしとき 05

 パチパチと薪の爆ぜるような音。
 頬を撫でる冷たい風。
 その長さゆえに、すぐに縺れ、絡まるであろう髪を梳く、優しい手……。

 ……優しい手?

「やっとお目覚め? お寝坊さん」

 視界の大半を埋めるのは、大きな双丘。
 その合間から覗く、雪が降っていたのが嘘のような、雲一つない星空。
 逆さに映る、艶やかな黒髪を後ろに回した、わたくしと殆ど歳の変わらぬ女性は仄かな光を纏い。
 黒曜石の瞳は焚火の反射も相まって、柔らかで温かな輝きを放っています。

 わたくしは……わたくしは一体……。

 ハッとして身体を見下ろすも、破れた様子も煤けた様子もない、まるで買ったばかりのような服。
 そして後頭部から肩にかけて感じる、この弾力は……。

 起き上がろうと思っても、見透かされたように髪を梳かれれば、動きようがありません。

「もう少し段階を踏むべきだったわね。
 闘う力に長ける剣戟師ならいざ知らず、癒し手なのに何も知らされずに、ただ不当に貶められても神格を保てる者なんて……。
 そりゃあ、そうそういないわよね。ましてや、貴女が置かれていたあの状況を考えたら……違うアプローチも必要だわ」

 しんかく……保つ……?

「『神の眷属』について、聞いたことはあって?」

 この状況で首を振るような余裕はなかったので、わたくしは小さな声で「いいえ」と答えました。
 彼女が口にしたその言葉は、他の人からは殆ど聞いたことのないもので。
 恐らくは、剣戟師と何かしらの関係はあるのだろうなと、ぼんやりと把握したのみだったのです。
 けれど、その言葉の響き。『神の眷属』と、しんかく……しんかく……神格!?

「気付いたみたいね」

 え、そんな、わたくしに、まさか……?

「さっきはそこまで理解できなかったようね。
 わたしは言ったわよ?
 貴女もまた、『神の眷属』であると」

 ありえない、と。
 愚かにも、まず思い浮かんだのは否定の言葉でした。

「信じられないって顔をしてるわね?
 確かに、一般的には剣戟師ばかりが『神の眷属』であると考えられがちだけれど。
 何も、剣戟ばかりが神の望む使命とは限らないのよ。
 わたしにはわたしの使命があるように、貴女にも貴女の使命がある。
 そしてそれが、癒しであったというだけ。
 いい? 貴女、思ったよりも鈍くて頑固そうだから、もう一度言うわね。
 貴女もまた、癒しの力を持つ『神の眷属』なのよ」

 駆け抜けてきたこの短い間に、何度も聞いた「癒す」「治す」という言葉。
 実感が薄く、他の事ばかり優先してきて、深く考えなかった言葉。
 わたくしには、癒す力があるのだと、言われ……。
 治してくれてありがとう、とお礼まで言われていたのに。
 どうしても、それを心から信じられませんでした。
 そっと、流していました。

 ――わたくしにできることは、祈ることだけ……。

「祈ることしかできないのにって、そう考えた?
 貴女の祈りが何をもたらすのか、実際に見せた方が早いのかしら」

 その女性は、やおら小刀を取り出すと、それを指に這わせました。
 とてもゆっくりと行われたその動作は、それゆえに目に焼き付いて。

 血が流れている、痛そう。
 血が流れている、わたくしの目の前で。

 ああ、どうして。
 ああ、痛そう。

 痛いのは、つらい、苦しいから。
 早く、早く治って……。

 ふわりと、夜闇の中に浮かぶ、季節外れの蛍のような。
 ふらりと、夜空から落ちてくる、星屑が。

 煌いて。
 輝いて。

 流れていた紅が、滞る。
 ……滞る?

「刃物で切った傷が、押さえもしないのにこんなに早く止まる筈がないのは、わかるわよね?
 治してくれて、ありがとう」

 ……嗚呼、神様。

「奇跡を起こす、それが『神の眷属』たる証。
 流石にこれで、納得できたでしょ」

 わたくしは、何と申せば良いのでしょうか。


Prev ・ Back ・ Next

Background image from Studio Blue Moon