小走りにお姉様を追い駆けて、追い駆けて。
奇妙なその建物の窓ガラスがマジックミラーであることが分かるほど近付いた頃には、わたくしの息は跳ね上がっていましたが。
流石はお姉様、息ひとつ乱すことなく。
むしろ、普段よりもゆっくりと規則正しく流れる空気が、わたくしをなだめるようでした。
扉の前で歩を緩めたお姉様は、肩越しにちらりとわたくしを振り返り。
その意味するところを悟ったわたくしは、視線を逸らさずに「大きく一歩を踏み出し」ました。
次いで、「腹の底から絞り出すような長い息を押し出し」「暴れる心臓を鎮めて」手足の隅々にいきわたる熱い血潮を感じながら「もう一歩」だけ身体を前に進めて……。
……お姉様が、再び意識を建物の方に向けました。
自力では手の付けられなかった暴れ馬の手綱を取り戻してくださったその感覚を反芻しながら、わたくしは同じように長く静かな息を吐き出しました。
感謝とお礼の言葉を出しては、恩を仇で返すことになりますから。
わたくしは、やらねばならないことに集中することにしました。
結果は……あまり芳しくはありませんでしたが。
いえ、まさか、扉一枚隔てていたことで、あの怖気立つニオイが軽減されていただなんて、思わなかっただけですわ。
お姉様がどうやって扉を開いたかまでは覚えていませんけれども、あの鼻がひん曲がりそうな、口の中が酸っぱくなりそうな、……ああもう、どれだけ言葉を連ねても、足りないとしか言いようのないあのニオイ。
せっかく整おうとしていた息が、再び浅く、速く、そう、それは追い立てられるように。
せっかくぬくもりを取り戻していた四肢が、急速にかじかんで、震え始め。
ああ、わたくしの、世間知らずでしたこと。
死と隣り合わせのこの世界で、本物の狂気と死を実感することもなく。
幸せに育てていただきました。
お姉様は、あれはあれで不幸であったと言いますが、考えようによっては、とても恵まれていたと思います。
……ふふ、さりとてわたくし、未だにあの頃のように、大切に庇われて世間知らずでいられたらと思っているわけではありませんのよ。
世界の醜さを知れば知るだけ、その美しさが際立つことを知りました。
その儚さを、尊さを愛しいと思えるのは、素晴らしことではなくて?
……こほん。
話が逸れてしまうところでしたわね。
濃厚な死のニオイが噴き出す扉の奥へ、お姉様が臆することなく、躊躇うことなく飛び込んで行かれましたので。
わたくしも、そっと、続いたのです。
ここまで来てしまった以上、安全と思える場所が、お姉様の近くしか残されていませんでしたから。